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暗闇で育てられた少年カスパー・ハウザーの特殊な能力と、謎に満ちた生涯

      2015/03/17

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暗闇で育てられた少年カスパー・ハウザーの特殊な能力と、謎に満ちた生涯

カスパー・ハウザー

カスパー・ハウザー

1828年5月26日ドイツのニュルンベルクで靴屋を営むジョルゲ・アイヒマンが街の広場の片隅に立つ薄汚れた奇妙な少年を発見する。
その少年お手にはある手紙が握られていた。

 

ジョルゲがその少年に声をかけるも、少年は言葉を知らない様子であった。

 

少年はたどたどしい口調でただ「ヴァイス・ニヒト(分からない)」と繰り返していた。
また、少年の足は青白く、そして靴から血が滲んでいた。
膝を上手く曲げることができないようで、歩くことができなかった。

 

 

 

カスパーが持っていた手紙

カスパーが持っていた手紙 出典:http://de.academic.ru

 

少年は手に持っていた2通の手紙をジョルゲに渡した。

共にドイツ軍隊に宛てられた手紙であった。
ジョルゲその手紙の宛先である第四騎兵隊の隊長の元へ少年を連れて行くことにした。

1通目には「軍隊入隊を志望するこの者を隊長殿の元へ送ります。
この少年は1812年10月7日に母親が私を頼って連れてきたのですが、私たちは自分の子供を育てるのに精一杯で育てることができません。
そのため一度も家の外には出したことが御座いません。

2通目には「この子の名前はカスパーです。
姓はあなた方がおつけください。この子の少年は既に亡くなっており、私も貧しいため育てることはできません。
この子は1812年4月30日生まれです。この子が17歳になったら、死んだ父親が所属していたニュルンベルクの第六騎兵隊に参加させてください。」

少年は、火というものを初めて見たのかろうそくの火を触ろうとしたり、時計など動くものを以上に怖がるといった奇行が目立った。

また、食事を与えても、水とパン以外は受け付けず、それ以外のものは与えてもすぐに吐き出してしまった。
しかし、ある時少年にペンと紙を渡したところ、なんと文字を書いたのである。
紙には「カスパー」「ハウザー」と書かれていた。
それから、その少年は「カスパー・ハウザー」と呼ばれるようになった。

 

しかし、この奇妙な少年に引き取り手が見つかるはずもなく、少年は犯罪者の収容施設である塔に収容された。
この頃から、カスパー・ハウザーの特殊な能力が明らかになっていく

まずコーヒーやアルコール飲料に過剰なまでの拒否反応を示した。部屋に運ばれただけで、それに気づきワインの匂いを嗅いだだけで酔っ払ってしまったのだ。
それだけでなく様々な感覚器官が異常に発達していた。
触っただけで金属の種類を当て、遠くの蜘蛛の巣に獲物が掛かっているかを感じることができた
また、隣の部屋のささやき声を正確に聞き取り、灯り一つない部屋でも物を正確に識別し、聖書も読むことができたという。

だが、一方で光に対しては弱い一面をもっており、暗闇では識別することができたにもかかわらず明るい場所ではそれができなかった。
少年は暗闇を好み、時には過去に住んでいたとされる、地下牢へ戻りたがることもあったという。

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これらの特殊な能力が明らかになると法学者、神学者、教育学者といった学者たちが次々に彼の元を訪ねた。
中でも宗教哲学者ゲオルク・フリードリヒ・ダウマー教授は熱心にカスパーへ教育を施した。
カスパー自身も積極的に学び、わずか数ヶ月で流暢に会話ができるようになり、同世代の人間と遜色ないレベルまで成長した。
だが、それと引き換えにそれまでの特殊な能力は失われていったという。

 

会話ができるようになったカスパーは、遂に自分の生い立ちについて口を開くようになる
16歳で解放されるまで、幅1メートル、奥行き2メートルで天井は低く立つことができない地下牢のような場所で、窓がないため常に暗闇だったという。
ひどく不衛生な空間で、寝床には干し草がしかれており、唯一与えられた馬の玩具とともに育ったという。
また食事は、朝目を覚ますと1切れのパンと水が置かれており、彼はこれが人間による行いではなく、自然な現象と考えていたというのである。
それだけ、外の世界や人間と断絶された空間で育ってきたのだ。
更に、時々水が苦く感じる事が有り、それを飲んだあとには深い眠りについたという。そして目を覚ますと、身なりや牢内がキレイになっていたというのだ。
これは、何者かが睡眠薬等の薬物を与えたものと推測される。

そのような、謎に満ちたカスパーの出自は人々の興味を引いた。
そしてある噂が浮上する。「カスパーは王室の血族」ではないかというもの。
すぐにカスパーの出生の秘密を探る動きは大きくなり、その情報に対して懸賞品までかけられた。

 

 

そんな矢先、カスパーに悲劇が訪れる

襲われるカスパー

襲われるカスパー 出典:img.welt.de

カスパーが現れてから約1年半近くが経過した1829年10月17日、カスパーは何者かによって暴行を受ける。
カスパーによると突然覆面をつけた男が現れ棒状のもので殴られたというのである。この時はなんとか一命を取り留めたものの
1833年12月14日 カスパーは何者かに右胸を刺され、その3日後、21歳の若さでこの世を去った。

カスパーを殺害した手がかりとして、犯人の声明文とされるメモがある。
そのメモには「カスパー・ハウザーは私が誰なのかを知ってるはずだ。私ははババリア国境の、川の側から来た者だ。名前はM・L・Oとだけ言っておこう」と書かれていた。
しかし、当時のカスパーは、話題になってから5年の年月が経ち人々から忘れられた存在となっていた。そのためカスパー本人による自作自演行為という疑いもあった。
軽傷で済ませるつもりが、誤って深く刺してしまったというものだ。

カスパーの最後の言葉は「自分でやっていない」というもの。

 

カスパーが眠る墓

カスパーが眠る墓 出典:http://de.academic.ru

その後、詳しい調査がおこなわれなかったため、事件は未解決となっている。

カスパー7・ハウザーは謎に包まれた存在で突如現れ、何一つ謎が解けないまま、生涯に幕を閉じた。
そのため19世紀最大のミステリーとされている。

このミステリーは現在でも研究されており、202年にはミュンスター大学の法医学研究所がDNA検査を行い、カスパーと王族の血縁関係の解明を目指したが、残念ながら証明には至らなかった。

新しい情報が入り次第、追って報告をする

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